句評    三良


 転作もいさぎよしとす年始

 目下大問題の食管法のなせるわざか。私は
敢えて食料政策を論じようとするものでもな
く又全くその知識もないのであるが、日本に
は昔から「米塩に事欠かず」ということがあ
る。米塩に事欠かずというのは王者の生活で
ある。明日食う米が今日あるという事はどれ
ほど大変であり、立派である事か。これぐら
い倖せなことがあろうか。
 一粒の米も農家の血と汗の結晶である。余
ったから鶏に食わせる豚に食わせるというも
のでもなかろう。林檎が採れすぎて捨てると
いう、というのとはわけがちがう。いかに日

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本人の食生活が変わってきたからといって、

その根本を忘れてどうなるというものであろ
うか。
 食管法による赤字の問題もあろう。しかし
つまらねものや下手な役人を養うために税金
を費やするよりは、明日食う米を保証してく
れる国に税金を支払うのは当然あると思う。
 印度にもアフリカにも食料がなくて餓死寸
前の人たちが幾万幾十万もいるという話であ
る。
 しかしこうなったには農家にも一面の責任
があるように思う。農家には耕耘機が必要で
あろうが、自家用車は必要と思われない。テ
レビも必要かも知れないが、カラーテレビで
なければならないということはないはずであ
る。私もときどき農家へ往診に行くが、びっ

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くりすることがある。あれは大変である。

 しかしこのようにしたのは、やはり為政者
の怠慢、教育の堕落、うわべの繁栄のしわ寄
せであろう。年々増加する悲惨な出稼ぎ者の
問題をどう思うのか。いまさら豊かな生活と
は何か、豊かさとは何かということ考えさせ
られるのである。
 だいぶ横道に逸れたが、そのようなことを
私なりに考えて、この句を見ると、そのよう
な憤りをさらりと捨てて転作を志す作者の、
いさぎよさが彷彿としてくるのである。

        昭和四十五年

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